№12 報告「夏の交流発表会」

 2018年7月21日(土)東北芸術工科大学体育館にて太悳TAISHIN「夏の交流発表会」が開催されました。ご来場くださったお客様方には心より感謝申し上げます。また、今回も出演してくださった城山太鼓と月悳に皆様に、さらに、今回初めて主演して頂いた花笠の四面楚歌の皆様に心より感謝申し上げます。

 今年の夏公演は「夏の交流発表会」と題して、お客様との交流に関してはより演奏を身近に感じて頂けるように舞台は段差を作らず、座席はできるだけ近くに、また、側面からも観ることができるようにし、使用していない太鼓は片付けずに背景として稽古の風景も感じられるようにしました。観客の皆様方にはご満足いただけたでしょうか。出演者の交流としては、普段は別々に稽古に励む出演者どうしが交流ができるよう、すべての演目において学生、受講生、卒業生、太悳の混成によるグループを作って演奏しました。これによって、出演者は稽古のなかで初めての体験をしたり、演奏を終えて新しい課題を見つけたりしたようです。

 公演後半の太悳の演目は「むつあい囃子」「ありがとう」そしてアンコールの「追い風」でした。これらの演奏には卒業生4名が加わり、よりボリュームのある演奏を実現できたことで太悳の新しい可能性を見い出すことができました。

 以上、公演全体をとおして、これまでとは一味違った新鮮な喜びを感じながら今回の公演を終えることができました。観客の皆様、出演者の皆様に心より感謝申し上げ、ご報告とさせていただきます。

 

 

№11 依頼演奏報告

 2018年6月8日(金)に「古窯」で演奏しました。また、二日後の10日(土)には、「ビッグウィング」で演奏がありました。

 

№10 指導者の仕事-定例会におけるもう一つの話ー

 昨日の定例会では、もう一つ、こんな話もしました。

 それは、ある保護者からの質問に対してそれを「指導者が果たすべき役割」といった意味と理解してお話しさせていただいた内容です。

 奏者が〝新しい動きかた〟の習得を目指すとき、指導者は何をすべきでしょうか。それは習得のための方法を示して、あとは稽古の管理をうまくやっていけばよい、というものではないでしょう。また、奏者の〝できない〟という辛い気持ちに寄り添うことは心情的に大切であっても、できるようになりたい奏者に対して指導者ができるようになるための実践的なアドバイスができないのではその役割を果たしているとは言えないでしょう。私たち指導者は、決して傍観者であってはならないのです。

 指導者は、奏者のパトス的側面を考慮し、〝できない〟時の奏者の意識の内容面(ノエマ的意味)と意識の作用面(ノエシス的契機)に着目し、できない奏者の動きの感覚的な「共鳴化能力」によって「交信(能力)」したり、「代行能力」によって修正の「道しるべ(設定能力)」を示すことなどに全能力を注ぎ込みます。また、奏者の過去の経験は一人ひとり異なりますから、当然そのスタートラインが異なることになります。したがって、ノエシスを下から支える受動性の領域に探りを入れながら、新しい動きの発生に向けて共に歩むのです。

 指導者は、奏者主体の動きの発生に立ち会える能力を有し、その能力向上に努めるときこそはじめてその存在意義が認められることになるでしょう。私自身、そのような一員でありたいと考えています。

 なお、大学教授としての私の仕事は研究と教育ですから、和太鼓演奏の音と動きの、いわば現象学的芸道運動学に関する研究も怠ることができません。その内容は、すでにこの日記に少しずつ織り込んでいます。

川口幾太郎

 

№9 稽古で大切なこと(太悳定例会にて)

 太悳は、月に一度「定例会」を実施しています。ここでは、保護者も同席して太悳のスケジュールや稽古内容に関する事柄を話しています。今回は、太悳の稽古の基本的な考えについて触れたので、その一部をここで紹介したいと思います。

 私たちは、和太鼓の演奏を見たり、聞いたりしたとき、それが何であるかということは直ぐに分かります。それは過去の経験が役立てられているからであり、もし、それが見たことも聞いたこともないようなものであるときには、これまでにない何か、として驚いたりすることがあるのでしょう。

 一方、演奏する本人である奏者が新しい技法などの習得を目指すときにも過去の経験が生かされます。それは、奏者主体が持ち合わせている過去の経験を基にして、実際に動きながら感じ、感じながら動いて新しい動きのコツを掴もうと探索します。〝できない〟から〝できる〟ようになるまでの経過においては様々な感じを体験します。たった今の動きと以前との違いを比較したり、次は〝こんな感じで〟とか〝もっと強く〟とか〝弱く〟など、価値知覚を伴いながら〝今のは良かった〟とか〝何か違う〟と繰り返し稽古を重ねます。私たちの諸感覚は、視覚、聴覚、キネステーゼなどが絡み合い、融合しながら、偶発的な一気にできるといった体験をします。さらに、あのときの感じで繰り返すことを通じて、今はこうだという自分なりの確証を得ます。

 ところが、この繰り返し稽古する中で身体化していく感覚・意識は確かに働いていても、それが現在に生き生きと息づいていることもあれば、過去に過ぎ去って機能しないこともあります。私たちはこの点に十分注意を払う必要があると考えています。単なる反復稽古でも運動能力は作動しているのですが、今はこうだという確証がもてないのでは、緊張する舞台でその力を発揮することは難しいでしょう。そればかりか、感覚的な質の微妙な違いに気づけず、何も捉えられないようでは、突然できなくなった動きかたの修正の何をどうすればよいかが分からないし、それ以前に、修正の必要性にも気づけないでしょう。私たちは日々の稽古によってその過去(地平)は豊かになっていきます。その過去は同時に新しい何かという未来を創造する可能性をもっています。しかし、その過去(の経験)が空虚なままでは、未来に向かうより良い演奏を期待することはできないでしょう。何の感覚質も感じ取れずにその意識が白紙のままで私は動けるという和太鼓演奏で終わってはならないと考えているのです。

 太悳ブログ「ホーム」の「わざの伝承理論と稽古の過程を大切に」という一文は、ただ和太鼓という楽器を継承しようとか、単なる反復による稽古を大切にしようということを意味しているのではありません。和太鼓の音と動きの感覚質に着目し、稽古の経過直観における現象身体の織りなす間身体的な伝承の実践という意味をこの一文に託そうとしているのです。

川口幾太郎

 

№8 IWC 依頼演奏

 5月15日(火)IWC(インターナショナル・ワイン・チャレンジ)懇親会で演奏しました。2曲の演奏の他、海外の方々には体験ということで実際に演奏にも加わっていただきました。

 今回はメンバーの一人がインフルエンザに罹ってしまい、私が17か月ぶりに担ぎ桶に加わりました。今回は、私が代わって演奏したのですが、太悳は日頃からお互いの音やリズムを鋭く感じ取ることができることを目指してメンバー全員が各種の太鼓、篠笛、ちゃっぱ、鉦などの楽器、及び各曲のいろいろなパートを稽古しています。より良い演奏のためには、自分のリズムはもちろん他者のリズムや動きを身体化しておく必要があると考えているからです。

今回はそればかりではなく、早い段階でインフルエンザと分かったので、2~3日稽古する時間が取れたことも幸いしました。

 ここで、この依頼演奏の報告としてぜひ記述しておきたいことがあります。

 それは、今回の演奏で中学生奏者の著しい進歩を実感することができたということです。昨年度、とはいっても数か月前の事ですが、それまでとは違って、今回は力強さと安定したリズムを本番で感じることができたのです。これまでの稽古の成果といえるでしょう。この稽古で体験した〝できない〟から〝できる〟の過程で掴んだコツ・カンを忘れずに、これからもより良い演奏を目指してほしいものです。

川口幾太郎

 

№7 外国からのお客様

 4月21日(土)イルクーツクの太鼓奏者の方々が太悳との交流の為に本学を訪れました。ロシアの伝統的な太鼓は、抱えて手指を器用に動かしながら打つもので、とても素晴らしい演奏でした。

 皆さんの活躍は、バイカル湖の氷だけで演奏する様子など、YouTubeで見ることができます。

№6 依頼演奏報告

 2018年4月6日、13日に、天童ホテルで依頼演奏がありました。奏者の演奏能力の向上を感じた演奏でした。しかし、それでも奏者にはいつも課題があります。前回も触れた「音を合わせる」ということもその一つです。今回は、引き続きこれを踏まえて現在の太悳の様子を書いてみたいと思います。

 

現在の奏者の様子

①今年1月の依頼演奏で、〝会場によっては音がずれて聞こえることがある〟という体験をしました。

②演奏中に突然〝音を合わせる〟ことに「意識」が向き、自分と他者の音が合っていないことに気づきました。

③他者の音に合わせようとしているとき、〝急に演奏する手が止まってしまう〟ということがあります。止めるつもりはないのに止まってしまうのです。

④音がずれていないのに〝どうもしっくりしない〟と奏者自身が感じているので、さらに稽古を繰り返しています。

 

知っておきたいこと

 〝できない〟から〝できる〟という経過には、ある特徴的な事柄を示す位相がありますが、とりわけ「音を合わせる」という意図的な稽古には、以下の内容を確認しておくことが役立つと考えています。

①合わせようとするとき、自分の動きに微妙な違いがあるということに気づくことができる、ということはとても大切なことです。

②しかし、1人で演奏しているときと他者と合わせようとするときの意識には違いがあり、合せようとすると自分の動きの感じが隠れてしまいます。

③他者と合わせるということは、自分が演奏しながら、他者の音を聞き、自分の音と他者の音が合っているのかを確かめながら、同調させなければなりません。

④そして、他者と共振して出会い現象を形づくっていくことが求められることになります。

⑤ここで最も大切なことは、自分一人が〝そうなってしまう〟とか〝できない〟ということではなく、誰もが体験することであるということを知ることでしょう。

2018年4月17日

川口幾太郎


№5 山形県「花回廊」キャンペーン公演に関して

 2018年4月1日、山形県「花回廊」キャンペーンのオープニングセレモニーが開催されました。太悳は、JR山形駅でお出迎えの演奏を行いました。

 

 さて、旅行客の皆様方には演奏を楽しんで頂けたでしょうか。

 

 これまでの体験から、突然の和太鼓演奏に遭遇した旅行客の方々の様子はさまざまです。手拍子で楽しんだり記念の写真を撮ったりする方々がいる一方で、急いでいるために脇目もふらずに通り過ぎる人もいれば、気分がすぐれず煩いと感じながら改札へと急ぐ方もいたかもしれません。

 

 日頃、奏者が体験している和太鼓演奏の舞台という場とは異なるこのような状況の中で、今回はどんな気持ちで演奏すればよいかを予め想像しておく必要がありました。現在の太悳は、駅での演奏がはじめて、というメンバーが多かったため、心の準備が必要だったのです。

 

 奏者は観てくださっている方々を感じます。常に感じています。感じざるを得ません。

駅での演奏であっても観ている人、聞いている人に心地よさを感じてもらえるよう、奏者自らが楽しみながら、打っては消える太鼓・篠笛のより良い音を目指すことになります。

このとき、奏者自身は何を感じ、それをどう理解し、何を思って演奏するでしょうか。

今回は、これを課題として演奏に向かいました。

 

小学生、いや、この日から中学生になった2名の奏者には少しばかり難しい課題ではありましたが、本人なりに解釈し真剣に向き合ったことと思います。

 

もう一つの課題

 奏者Hは、あるフレーズで音が遅れるためこれを修正できるか、また、先週の「文化遺産まつり」での失敗を修正できるかが課題でした。前者はそのフレーズの中のたった一つの音である十六分音符の長さを捉えられるかということ、後者は演奏仲間の音と動きを捉えられるかということであり、これらに意識を向けられるかということが課題でした。

2018年4月2日

川口幾太郎