あのときのようにできない⑤

4.もう“あのとき”のレヴェルではない

 最後の事例として、もう熟練してきた学習者に起こる「あのときのようにできない」を示しておくこととします。

 何週間もかけて練習してきた本番が終わり、その間練習していなかった曲を久しぶりに練習してみると、以前とは違う感覚になっていることがあります。それは「こんな曲だったかな」とも思えるほどです。そのとき、「以前できたことができなくなっている」と言ってため息をつく学習者が、結構いるのです。練習していなかったから当たり前だろう、と考えるかもしれませんが、一緒に演奏している奏者がそれにまったく気づかなかったとしたらどうでしょう。奏者の間では心地よい演奏が成り立っているのに、その中で「できなくなった」と落ち込んでいるのです。

 本番に向けての練習では、技術を磨き、みんなで合わせ、表現を高めていきます。その過程において奏者が取り組んでいく問題というのは、大変繊細で、厳しいものだと思います。そのような練習を経た身体と、以前の身体とでは、感性のレヴェルがまるで違っているのだということは、本人にはなかなか自覚できないところかもしれません。「できなくなった」と嘆いているその意味内容が、高められた感性を証明しているといえましょう。もっとも、演奏に完成はありませんから、また新たに探求し続けていくわけですが、それまでの自分になかった身体知が芽生えたということは、まぎれもない事実です。これはそのまま、心情領域である“自信”にもつながるのではないでしょうか。


【おわりに】

 さて、これまで「あのときのようにできない」と感じたときの、その意味内容についていろいろな分析を試みてきました。

 まず、試行錯誤の段階に見られる事例。また、できないことに気づく重要性を示す事例。そして、感覚の変化における感じ方の差異を示す事例。

 「できない」という感情に支配されたとき、それをどう判断するのかは、苦しく、難しいことかもしれません。しかし、「自分にはやっぱり才能がないのかもしれない、向いていないのかもしれない」と考え、歩みを止めてしまう前に、これらの事例を思い出してほしいのです。それを、各自が練習の中でどう生かすか、よく考えてみてほしいのです。自分の意識を注意深く反省することで、次の一歩につながる可能性を秘めているものが見つかるかもしれません。